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青山二郎全文集〈下〉 (ちくま学芸文庫)

, 青山 二郎

によって 青山 二郎
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内容(「BOOK」データベースより) 青山二郎は、小林秀雄、白洲正子の骨董の師匠としてだけでなく、河上徹太郎、中村光夫、宇野千代といった周囲の人たちにも大きな影響を与えた。その青山の信仰とは、知識に依らず、眼を頭から切り離して、純粋に目に映ったものだけを信じるという「眼の哲学」であった。やきものから学んだ眼力によって、骨董はもちろん、人間の真贋から社会批評まで、ズバリとその本質を言い当てる。青山の文章は、独特な比喩とともに難解なところもあるが、知識ばかりが横溢する現在、最も辛辣な文明批評となっている。下巻は、「眼の引越」や「陶経」をはじめ、文芸作品や初期文集53篇と貴重な未刊行手記を含む9篇を補充。 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) 青山/二郎 1901‐79年。古陶磁研究家。装幀家。美術評論家。14歳頃よりやきものに興味をもち、のちに柳宗悦や浜田庄司などの民芸運動に加わる。また、多くの文学者と交流し、その支柱的存在として、集いの場は「青山学院」と称された。「眼の哲学」ともいうべき独自の美学を展開し、美術をはじめ、人物や社会の「真贋」の奥義を極めた(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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「何サ凝つては思案に能はず」これは彼一流のポーズである。「人が見たらば蛙になれ」陶器でも人間でも何でも、とかく「愛情をもつて仕込み惚れ」た末の、江戸っ子の照れ隠し。批評にならない知識は、知識ではなく、その知識とは人生の本業でなく余技に現れるというのが彼の信条だ。「彼等は(眼玉の中に触覚がうづいて来るのを)自覚したから、普段信念のあるところを描く気に相成ったのである」新しい経験にも新鮮な「眼」で接した。上州の賭場、伊東での蛇ぶた釣り、ボート、画を描くこと。「その瞬間に何かが手に取る様に解ったとすれば、さう感じた一瞬がその総てではないだらうか」だがやはり最もよく彼の眼を惹いたのは、人であった。わが一族、女友達、清君、工芸家の友達。「議論をしやぶり過ぎて堪能」した若い頃。「天才」利休に挑む。「美に二つなし」「利休はトルストイ風だ。お茶のトルストイだ」覚え書きの端々にまで滲む、仮借なき彼の「思想」。「苦労から元を取らうとしてはならぬ」「若しかすると私は大変長い間夢を見てゐたのかも知れない」「『黙って坐ればピタリと当てる』眼」に魅入られた人に、上巻とともに捧げる一冊。

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